485系と食堂車の思い出2017年02月27日

昨夜はほんの少し雪がチラつきました。明けて今朝は雲が多めながらも晴れたものの、気温はまだ低め。風が冷たかったですネ。

夜勤から帰り、午後はアクトスでHsイントラの中級クラスを受けてきました。
コリオは後半が新しくなってて、ちょっとトリッキーなコンビネーションも。まだ寝ボケ頭だったのか、今日は間違えてばかりでした(恥)。
来月は彼の都合でこの時間は全て代行。スタジオに復活するのを待ちましょう。

かつて特急列車といえば編成の真ん中辺りに食堂車が連結されていたものです。北陸線特急は比較的晩年まで営業していました。子供の頃に乗った列車で、ドキドキしながら食堂車でゴハンを食べた思い出…。

初めての食堂車はやはり『雷鳥』でした。子供の頃の関西からの帰り、まだ米原経由だった頃です。父親に連れられて食べたのは大好きなエビフライ。なぜかタルタルソースがなく、ちょっと残念だったのを覚えています。

伯母と一緒に乗った『はくたか』で、ちょうど清水トンネルの辺りで食べたのはミックスサンドイッチでした。コチラは丁寧に調理されていて、とても美味しかったです。

中学の頃の夏休み、東北旅行の折に満員の『ひばり』の指定券が取れず、ようやく人をかき分け辿りついた食堂車で食べたスパゲティミートソース。食堂車も混雑していて落ち着いて食べられなかったような…。

高校受験を前に京都の北野天満宮をお参りしようと両親と乗った『雷鳥』。土曜の午後だったのでお昼を食堂車でという話になり、ボクはハンバーグ。あの頃はステンレス皿がよく使われていて、見た目味気ないなと…。

無事天神様の恩恵にあずかり、溜めた小遣いをはたいて関西・中京、一旦戻って東京という贅沢な旅に出ました。そんな時期なのでホテルには泊まれず父親の知り合いや親戚に泊めてもらったんですが、東京は叔父の出張にぶら下がっての旅で、ホテル泊でした。
帰りは『白山』(489系ですが…)で、長野を出て妙高高原への峠道を上る車窓を見ながらのハンバーグ。ふっくら焼き上がってて、これは当時お決まりの半調理品ではなく、ちゃんと車内で練られたものだったかもしれません。

高校時代に中学からの鉄仲間と関西遠征、行きの『雷鳥』での朝ゴハンは和洋どちらかの朝定食だけ。仲間たちは和定食、ボクは洋定食。トーストやベーコンエッグも車内で食べると美味しさ倍増でした。

今日も485系の思い出に浸る夜。あと4日…。

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