広坂界隈 ― 2017年10月03日
なかなか雨がやみません。夕方まで小雨が続きました。
午前中はコストコへ買い物に出かけ、午後はアクトスでエアロ2本立て。まずは新鋭Fsイントラの初級クラスを受けました。
ちょっと緊張した様子も伺えましたが、なかなか好感度の高いレッスンじゃないですか。期待度も大ですヨ!!
続いて10月から中級クラスにレベルアップしたSsイントラのレッスン。複雑なフットパターンではなく強度中心のコリオ構成で、運動量もかなりのもの。ただしまだレイヤリングがありそうです。
さて、昨日の写真の続き。雨の広坂界隈でのショットです。
まるでヨーロッパの街角で撮ったような1枚。
しいの木迎賓館の周りで出会った風景いろいろ。
横断歩道を急ぐ観光客。雨の月曜の光景でした。
ラストランの夜、社会人になってからの日々を思い出してました。辛かったことばかりでした。
昭和59年4月、大学を卒業したボクはT建築事務所に入社しました。
当時は就職氷河期で、大学の就職セミナーでも「この中で設計の道に進めるのは数パーセントだ」と衝撃的なことまで言われた時代です。
もっとも卒業前にアルバイトとして一時期雇ってもらっていたので、残業の多い仕事なのは判ってました。改めて入社したその日、てっきり残業だと思っていたら「さあ、帰るぞー」と全員潮が引くように帰っていったのです。至極不自然でした。
翌日からは全員人が変わったかのように残業。しかも深夜当たり前。新人ゆえに大した仕事も与えられず、そのうえ遅くまで付き合わされる毎日。丸一日青焼きをさせられ、全身アンモニア臭くなったこともしばしば。
ようやく初月給を手にし、両親にケーキでも買って帰ろうとしたら「残業していけ」。しかもその額は高卒の初任給に遠く及ばない低賃金だったのです。
その頃の製図方法はもちろん手描きです。事務所の中は1本の線を引くのに数分をかけ、出来栄えに惚れ惚れしている人ばかりでした。これでは作業効率なんて上がるはずもありません。ボクはサッサと描きあげてしまうタイプなのでペースが合わないのです。
やがて新人いびりが始まりました。
「あ゛ー、することないんや~」「ヒマなんや~」。子供じみた、陰湿な言葉に毎日責められました。
確かに就職難、父親の紹介のおかげで入社出来たのが「コネで入った気に食わない奴」としか映っていなかったようです。
入社して1年半ほど経ったある日の夜、いえ深夜です。家に電話がかかってきました。会社からでした。たまたま電話に出たのが父親でしたが、その内容は
「お宅の息子さん、早く帰ってしまったのはいったいどういうことですか」。
そこそこ遅くまで残業して、帰った矢先の出来事。あまりの非常識さに両親も呆れてました。
翌日、退職願を出したのはいうまでもありません。電話をかけてきた奴の上司は「桑山君、そんなつもりじゃ…」とうろたえていましたが、もう心は決まってました。
ノロノロと図面を描いていたあの連中、今はCADに仕事を取られてしまったでしょう。
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