廃止路線を想う時2017年08月16日

今年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」を観るにつけ、思い出される鉄道路線が遠州鉄道奥山線。

昭和39年10月いっぱいで廃止されたこの路線は、ちょうど番組の舞台でもある井伊谷を走っていました。
モータリゼーションで姿を消した地方私鉄の路線が多い中、もしもこの路線が奇跡的に残っていたとしたら、番組ゆかりの地を訪ねる足として重宝されていたでしょう。

レールの幅は762mm。いわゆるナローゲージというやつです。奥山線の廃止後に1両のディーゼルカーが地元石川の尾小屋鉄道に移籍、こちらで再び路線廃止の日まで活躍していたのも知られています。

すっかり便利になった今の世の中、その陰で時代の流れに乗れず消えていった鉄道路線。ふと思い出してみたりします。

「ひろでん」の電車たち2017年08月03日

今日はお休み。真夏の陽射しが強かった一日でした。

午前中からの用事で#2と出かけたその足で、久しぶりのアイリーカレーハウスでランチ。月刊「金澤」8月号の表紙のカレーです。

以前広島を訪れたコトがありました。もちろん「ひろでん」こと広島電鉄が目的でした。懐かしい京都市電に再会出来た時の嬉しさは今でも忘れません。

もと京都市電1900形

最後に乗った京都市電は確か東山線だったかな…。江波の車庫には大阪市電も並んで休憩してました。

もと大阪市電2600形

こちらはもと西鉄の連接車。ひろでんカラーになってました。

広島電鉄3000形

己斐にいこう3100形。ひろでんオリジナル車です。そろそろ現役引退もささやかれているようです。

広島電鉄3100形

クリーンムーバー

ドイツからの輸入車「グリーンムーバー」こと5000形です。近年路面電車の人気が全国あちこちで復活しつつあるのも、この電車の功績でしょう。

広島電鉄3900形

超低床車前夜の電車たち。3900形と3950形です。後ろに見えるのは広島市民球場じゃないですか!!

広島電鉄3950形

今日は蔵出し画像というコトで。

広島は3日後、鎮魂の日を迎えます。

また由々しき事態2017年08月01日

今日の金沢はまた曇りがち。朝はパラリと雨が落ちました。そのせいか久しぶりに真夏日は回避したものの湿度が高くて困りもの。

どこか息苦しくも感じましたネ。

さて『SLやまぐち号』沿線から由々しき事態が伝わってきました。
既にご存じの方もいらっしゃるかとは思いますが、有名撮影地近くで鉄道施設の損壊が判明しました。

全く嘆かわしいばかりです。

以前も別の線区で撮影の邪魔になるからと木を切ってしまった、フェンスを壊したなど、鉄道ファンとしてあるまじき行為がありましたが、今回も同様、また悪質です。

こんな事件ばかりを繰り返しているばっかりに、いつになっても鉄道趣味は世間から健全なものとして受け入れられないのです。

犯罪行為をしてまで撮った写真には何の価値もありません。

走れデコイチ2017年06月26日

昨日は終日シトシトと雨でしたが、今朝は雨も上がり、また梅雨の中休み。

最近話題に事欠かないJR西日本。「トワイライトエクスプレス 瑞風」も好調なようです。各地で観光列車が人気を呼ぶ中、老舗と言えるのが「SLやまぐち」なのはよく知られています。

しかしメイン牽引機の貴婦人ことC57 1号機の負担も大きく、このほど京都鉄道博物館のD51 200号機が整備され、牽引の仲間入りをするコトになりました。

博物館の前身は梅小路蒸気機関車館。鉄道100年を記念して各地から引退する蒸気機関車の各形式をピックアップして一部は動態保存されてました。
子供の頃、父に頼んで開館間もない梅小路蒸気機関車館を訪れた時、その日の動態展示がこのD51  200号機だったのです。あの時のカマがこうして生きながらえ、再び列車の先頭に立つというのも感慨深いですネ。

実はその日、ホントに見たかったのは函館本線急行『ニセコ』を牽いていたC62 2号機。当時人気絶頂のカマでした。でも逢えなかったのです。

というのも、C62 2号機は蒸気機関車館開館のイベント列車「SL白鷺号」の牽引機に充てられていて、館を留守にしていたのです。幼心にちょっとガッカリもしましたが、それでも他の蒸気機関車の迫力に満足していたと思います。

帰路につく京都駅で、その「SL白鷺号」の到着がアナウンスされました。でも乗るはずの特急『雷鳥』もそろそろ着く頃。ダメモトで父親に「ちょっと見てくる!!」と列を離れ、C62の着くホームへ急ぎました。

やがてデフにつばめマークを輝かせ、12系客車の先頭に立つ雄姿が見られました。生まれて初めて見るC62。この邂逅は今も忘れられません。

急ぎ『雷鳥』の来るホームに戻り無事に帰宅出来たわけですが、この時の父のハラハラした気持ちは…今も複雑なものがあります。

黄緑6号2017年05月15日

昨日に引き続き午前中は曇り空、午後は青空。同じような空模様が2日も続くなんて、なんか不思議です。

最近は山々に新緑が混じり、今だけの色合いを見せています。さて新緑とはどんな色なのかなと思っていたら、かつての山手線103系のウグイス色に似ているなあと…。

その色は一般にウグイス色という名で呼ばれていますが、国鉄の正式な名称では「黄緑6号」とされています。何やら堅苦しいカンジもしますが(笑)。

同じ黄緑6号を採用したのが関西本線(大阪口)の101系です。
湊町-奈良間の電化開業直前、9月末の暑さが残る日でした。父親と関西を旅行した折、ちょうど奈良から宇治へと乗る国鉄奈良線のディーゼルカーを待っていると、隣のホームに山手線と同じ色の電車が停まっているではありませんか。

しかもちゃんとドアを開けて、乗客を待っていたのです。既に101系電車は運用に入っていました。当時ダイヤ改正を待たずにデビューするコトはよく見られたケースです。

その時の「黄緑6号」。東京でしか走ってないと思っていた色の電車、何やら不思議なカンジがしたものです。

もっとも当時、仙石線の旧型電車も黄緑6号だったんですケドね。

485系 有終の走りに2017年03月19日

日中の陽射しに春の暖かさを感じる時期になりました。「暑さ寒さも彼岸まで」とはホントよく言ったものだとつくづく思います。

さて今日は「ありがとう485系信越」が新潟-直江津間に運転されました。これが485系R編成最期の晴れ姿。
これで485系そのものが消滅するワケではありませんが、残るのはジョイフルトレインに改造されたものが殆どとなってしまい、特急列車の姿は留めていないのが残念です。

行きたい気持ちはヤマヤマでしたが…。まあいろいろあって。心の中でシャッターを切るだけに。

特急『北越』時代を、もう少し偲んでみましょう。

さようならR編成

最後に乗ったのは一昨年の2月半ば、宇奈月温泉の帰りの魚津-金沢間でした。1時間程度の旅。北陸新幹線金沢開業まで1ヶ月と迫ってました。
世の中が新幹線で浮かれる中、どうして在来線じゃダメなんだろう、全然遅くもないし快適なのに…と悔しい気持ちでいっぱいでした。

高岡を発車して聞こえる加速音。もうこれで485系で駅を出るのはおしまいだな…その感覚はまだ身体で覚えています。

思い出の485系R編成『北越』

これは人気を誇った国鉄特急色のT18編成。お気に入りの1枚です。

人気だったT18編成

糸魚川快速として最後まで残ったR26、R28編成ですが、既に僚友R26編成は長野へと回送され、このまま一生を終えると思われます。今日走ったR28編成も早晩同じ運命になるのでは…。

北は旭川から南は鹿児島まで日本全国を走った485系は、そのまま日本の鉄道交通を支えて続けてきたのです。新幹線よりも、ずっと偉大です。

そしてこの電車を愛した人々の心の中で、明日も走り続けます。

ありがとう485系~最後の夜に想う2017年03月03日

今日はお休み。朝には既に雨は上がっていて、程なく青空が広がりました。予報では曇りだったので、ちょっとトクした気分♪

午後はまずスカイシップでYhイントラの初中級クラスを受けてきました。月が変わって新しくなったコリオは、ステップ構成こそシンプルなのにトリッキーなコンビネーションも。まだレイヤリングありそうですネ。

続いてアクトスでNiイントラの中級クラス。今月のコリオはかなり難度高いです。リズムチェンジとターンと方向転換…目まぐるしくてタイヘンでした。コチラは次回以降も苦戦必至!!

さて今日は485系R編成「糸魚川快速」が最期の日。8622Mは3分ほど遅れて終点、いやゴールの糸魚川に到着したと聞きました。感慨深いです。

今夜は485系R編成の姿を偲んで、かつてご紹介した写真の中からいくつか。
これはまだ『はくたか』時代。エンブレムも誇らしげです。

『はくたか』時代

足繁く通った倶利伽羅でのショット。雪景色をいくR編成。

ありがとう485系

新緑が萌えだした雨の日の倶利伽羅峠を越えるところ。軽快なモーター音が耳に残っています。

初夏の雨

晩秋から初冬の富山県内では、定番スポットを含めていろいろ楽しめました。柿を前ボケに金沢へと急ぐR編成。

晩秋の頃

定番中の定番、水橋-東富山間で。勇壮な毛勝三山をバックに快走!!

立山連峰を背に

雪の夕方、倶利伽羅でダメモトで撮った1枚。わざとスロー気味で電車をブラして動感を出してみました。

雪の夜に

これも定番中の定番、六家のカーブでの1枚。スッキリした構図狙いで。

スパート

黄昏の発車

夕方の金沢駅で、新潟へと急ぐR編成をキャッチ。今日もこんなカンジで、いつもどおりに走っていったでしょう…ありがとう485系。

晩年の『北越』では国鉄特急色のT18、K1、K2の3編成が人気があり、R編成はむしろ脇役みたいなイメージがあったものです。でも485系『雷鳥』が廃止になってからは、もう贅沢は言えないと夢中で撮ったあの日々。

また一つ、時代が終わりました。

485系と食堂車の思い出2017年02月27日

昨夜はほんの少し雪がチラつきました。明けて今朝は雲が多めながらも晴れたものの、気温はまだ低め。風が冷たかったですネ。

夜勤から帰り、午後はアクトスでHsイントラの中級クラスを受けてきました。
コリオは後半が新しくなってて、ちょっとトリッキーなコンビネーションも。まだ寝ボケ頭だったのか、今日は間違えてばかりでした(恥)。
来月は彼の都合でこの時間は全て代行。スタジオに復活するのを待ちましょう。

かつて特急列車といえば編成の真ん中辺りに食堂車が連結されていたものです。北陸線特急は比較的晩年まで営業していました。子供の頃に乗った列車で、ドキドキしながら食堂車でゴハンを食べた思い出…。

初めての食堂車はやはり『雷鳥』でした。子供の頃の関西からの帰り、まだ米原経由だった頃です。父親に連れられて食べたのは大好きなエビフライ。なぜかタルタルソースがなく、ちょっと残念だったのを覚えています。

伯母と一緒に乗った『はくたか』で、ちょうど清水トンネルの辺りで食べたのはミックスサンドイッチでした。コチラは丁寧に調理されていて、とても美味しかったです。

中学の頃の夏休み、東北旅行の折に満員の『ひばり』の指定券が取れず、ようやく人をかき分け辿りついた食堂車で食べたスパゲティミートソース。食堂車も混雑していて落ち着いて食べられなかったような…。

高校受験を前に京都の北野天満宮をお参りしようと両親と乗った『雷鳥』。土曜の午後だったのでお昼を食堂車でという話になり、ボクはハンバーグ。あの頃はステンレス皿がよく使われていて、見た目味気ないなと…。

無事天神様の恩恵にあずかり、溜めた小遣いをはたいて関西・中京、一旦戻って東京という贅沢な旅に出ました。そんな時期なのでホテルには泊まれず父親の知り合いや親戚に泊めてもらったんですが、東京は叔父の出張にぶら下がっての旅で、ホテル泊でした。
帰りは『白山』(489系ですが…)で、長野を出て妙高高原への峠道を上る車窓を見ながらのハンバーグ。ふっくら焼き上がってて、これは当時お決まりの半調理品ではなく、ちゃんと車内で練られたものだったかもしれません。

高校時代に中学からの鉄仲間と関西遠征、行きの『雷鳥』での朝ゴハンは和洋どちらかの朝定食だけ。仲間たちは和定食、ボクは洋定食。トーストやベーコンエッグも車内で食べると美味しさ倍増でした。

今日も485系の思い出に浸る夜。あと4日…。

雲間の月2017年01月13日

昨夜、夜勤の途中で空にポツンと明るくなっていた場所がありました。気になって見てみると雲の切れ間の真ん中に、たまたま月が輝いていたのです。

たしか昨夜は満月だったはず…ひときわ明るく感じました。

そう言えば以前、似たような光景に出逢ったコトがあります。雲間に突然明るい光が出現して、何かと思ったら降下中のヒコーキ。たちまち機のシルエットが雲に映りました。明るくなったのは着陸灯のイタズラ。でもなんかドラマチックだなと思ったものです。

さて帰宅して頑張って午後はエアロ2本。まずはスカイシップでYhイントラの初中級クラス。コリオは先週とほぼ同じでした。既に小中高校は冬休みが終わり、スタジオのメンバーさんが急に増えました。一緒に絞りましょう!!

続いてアクトスへ移動してNiイントラの中級クラス。コリオが新しくなって、今月も細かなステップ構成が多いです。ラスト通しではカット&ペーストで完成形になって、何か不思議なカンジ。

今夜から北陸も雪になるみたいです。どうぞご注意を。

肥った客車2017年01月11日

昨夜はグッスリ眠れました。でもまだ疲れが残っているような…歳には勝てませんねえ…(笑)。

今日はお休み。外は雨が降ったりアラレが降ったり。金沢はまだ積雪には至っておらず、むしろ今回もマスコミの騒ぎすぎです。確かに今後雪にはなるでしょうケド、例年通りと言ってしまえばオシマイ。

午後コストコで買物した帰り道、小松空港へと降下するジャンボ機の姿が雲間に見えました。それはカーゴルクスの特別塗装機…あーあ(笑)。

夜はスカイシップでYhイントラの初級クラスと初中級クラスの2本立てを楽しんできました。なにしろ疲れたのをいいコトに昨日から食べて寝ての繰り返し、体重も増加気味…。大台をオーバーしたら困りものです。しっかり動いて運動量の確保。初中級はターンが追加になりました。

肥るのはヒトだけでなく鉄道車両でも起こります。何ですかそりゃ??

最近まで走っていた寝台特急『あけぼの』がデビューした頃、今は山形新幹線になってしまった福島-米沢間の板谷峠を通っていました。
この峠は最急勾配38パーミルの険しい道。ただし当時『あけぼの』に使われた20系客車はセミモノコック構造で軽量化されていたので、機関車は1両で十分とみられていました。

しかし実際列車を牽いてみると、とても重かったのです。これではダイヤの確保が難しいと機関車を1両追加して対応するコトになりました。

既に『あさかぜ』でのデビュー以来10年以上を過ぎていた20系客車は、度重なる改造などで機器が追加され、『あけぼの』の頃には本来の重量よりもずっと重かったのだとか。客車が肥ってしまっていたのです。
しかもルール通りなら「オロネ」「オハネ」などへ形式も変えなければならないところ、変えずにサバ読んでいたのも発覚。

肥ったのを隠してはいけませんネ。