さようなら『トワイライトエクスプレス』(3)2016年03月22日

今朝は放射冷却で冷え込みました。しかし夜勤から帰る頃には陽射しも暖かく、もう春分の日も過ぎ昼間のほうが長いのを改めて感じました。

津軽海峡線は朝、札幌に到着した急行『はまなす』をもって役目を終えました。これでJR線から長い歴史を持つ急行列車が消滅、なんとも複雑な気持ちになりました。昨日『スーパー白鳥』『白鳥』もラストランを迎え、寂しさに拍車が掛かります。

これまでどれだけ多くの列車や車両の最期を見たことでしょう。地元の北陸線関連では特急『雷鳥』『北越』『はくたか』『白山』『白鳥』『日本海』『つるぎ』『トワイライトエクスプレス』それに『北アルプス』急行『能登』『きたぐに』『能登路』…。
それと各地の私鉄からも憧れの名車がいくつも消えていきました。東武1700・1720系DRC、小田急3000系SSEと3100系NSE、京王5000系、名鉄7000・7500系パノラマカーとキハ8000系に8500系、近鉄10100系ビスタカー、南海20001系デラックスズームカー…。

こんな時代に生まれたコトを、正直後悔したものです。でもよく考えてみると列車や車両たちを最期まで見届けて、見送ってあげるコトが出来たという事実で良しと考えるようにしました。

去年3月12日『トワイライトエクスプレス』はとうとう最終運行。その日は夜勤でしたが、出勤前になんとか撮影出来ました。通いなれた倶利伽羅峠で。
また金沢からEF81の運転を担当したのはスポクラ仲間でもあるK氏。以前も下り最終『きたぐに』の米原-金沢間を運転した栄えある方です。事前に「通過時に汽笛を鳴らすから」と連絡があり、列車を待ちました。

倶利伽羅峠を越える下り最終『トワイライトエクスプレス』

接近表示器が点滅を始め、しばらくしてちょっと哀しげな汽笛を鳴らしながら『トワイライトエクスプレス』は一路、札幌へと走り去りました。

折しも翌日使命を終える『はくたか』との離合も。

折しも『はくたか』と離合

また3月12日は1057M『北越7号』に国鉄特急色485系が充当され、長坂踏切では多くの鉄が待ち構えていましたが、そこまで待つと遅刻なので諦めました。

『トワイライトエクスプレス』これを見納めにしようと思ってましたが、どうにも我慢出来ず翌日の上り最終を早退して待ちました。前述のK氏が金沢-敦賀間のラストランを担当、また再び連絡が取れこの日も汽笛を鳴らしてもらうコトに。

上り最終『トワイライトエクスプレス』西金沢通過

沿線は鉄があちこちに。多くの人々に愛されて『トワイライトエクスプレス』は大阪へと走り抜け、これがホントの見納めになるはずでした。

翌日から世の中は北陸新幹線金沢開業で浮かれました。その代わりボクはすっかり腑抜けになってしまいました。
ところが『トワイライトエクスプレス』の人気は衰えるコトがなく『特別なトワイライトエクスプレス』としての復活が決まるまで、時を待ちませんでした。

こんな嬉しいアンコールになるなんて、当初誰が思ったコトでしょう。EF81は大阪-敦賀-京都間を担当、京都からはEF65PFが牽引というスタイルに。しかし下関から帰って来た『トワイライトエクスプレス』は直流機EF65PFがそのまま敦賀まで牽引というサプライズ。

『特別なトワイライトエクスプレス』はEF65PF牽引で敦賀へ

もちろんEF81も敦賀-大阪間を牽引。夢のような復活劇の始まりでした。

京都へはEF81牽引で

しかし秋のコース見直しで琵琶湖一周はカットされ、今年1月19日の「京の冬の旅」ツアーが唯一、敦賀まで運転されただけ。

トワイライトエクスプレス色のEF66PF「京の冬の旅」

トワイライトエクスプレス色となったEF65 1124号機が花を添えてくれました。そして敦賀からはEF81が最期の牽引。これが最期の雄姿。

最期のEF81牽引『トワイライトエクスプレス』

見納めは北陸本線でと心に決めていたのに、欲というものは…結局かつての関西ブルトレの定番撮影地、芦屋付近へ遠征してしまいました。

さようなら『トワイライトエクスプレス』芦屋にて

そして今日、10ヶ月余りにも及ぶアンコールに応えてくれた『トワイライトエクスプレス』はカーテンの向こうに。

見事なアンコールでした。まるで夢でも見ていたような…。

さようなら、そしてありがとう『トワイライトエクスプレス』。列車を愛し、列車を今日まで支えて頂いたJR西日本及び関連各社の皆さん、復活を望んだ列車旅ファンの皆さん、その熱烈な声に応えてもらうべく労苦を惜しまなかった旅行会社の皆さん、沿線で声援を送り続けた皆さん。全ての人に感謝します。

また一つの時代が終わりました。